現代の流行と、国粋的危うさ

 劇場版だのテレビだので鬼滅ブームなんだけど、自分はこの作品に対しては容認できる所半分と、全く駄目で忌避している所半分と言う感じで、ブーム自体には基本的に静観している立場。一応ぐれんげの基本フレーズはギターで弾けるが。

 ていうか、結局の所このアニメについてはコスプレなどで金属模造刀趣味の女子とかが飛びついたってのもあるし、例えば一応この作品はジャンルとしては伝奇モノの部類に属するとは思うんだが、なんていうか日本人とか日本文化とか、武装集団のヒエラルキーとかってのを過信しすぎている、っていう気もするんだよね。だから割とこの作品が好きな人々はサヨよりはネトウヨ的な人々が元々多いわけで。主人公兄弟の境遇とかには、まぁ障碍やハンデ持ってる肉親がいる自分としては、共感は感じるわけだけど。

 あと、「鬼」というのは過去は異人の暗喩だった事もあるし、まぁ常に時代の中では少数派なんだが(この辺は自分も小学4年の合唱劇で「泣いた赤鬼」の赤鬼をやってそれが良かったので地元新聞に載ったりもしたって事もあり・・・まぁ鬼や天狗などの伝承については恩師の成田亨氏も詳しかったのでその辺は語ると色々いいたい事はあるんだが)

 ・・・だから鬼と見れば殺す鬼殺隊みたいな、そういうドラマがブーム化するというのは、つまり「猟奇殺人事件などを起こし弱者をいたぶる鬼」という鬼のイメージからなら肯定できるんだが、それが少数者を多数派が殺す部隊と考えるといきなりファシズムに近くなるわけで、その辺は色々思うんだが「まぁ子供向け漫画だしな」って事でその辺の問題点はスルーして、良い所だけの印象にとどめる事にしている。

 (※ だってさ、戦時中でもアメリカ人を「鬼畜米兵」なんて日本人は言ってたわけで。当然そこには軍部によるアジテーションがあるんだけど、それに喜々として乗ってた国民なわけでしょ?今でも変わらんけど。つまり差別のアイコンになってたんだよね、「鬼」ってのが。だから本質的に鬼滅の「鬼殺隊」ってイメージは、いつでも作品外で差別的ファシズム集団の肯定的アイコンとして利用悪用されうるって事。まぁ鬼滅に限った事じゃ無いが)

 大体同じ週刊少年ジャンプでずっとコミックスを新刊で買ってた「アクタージュ」の原作が逮捕されて連載終了みたいな事になってるので、何を応援したってどうせ甲斐が無い事になるんだよな、と思って、一般作品に応援やエールを送ることに自分はもうホント消極的なんだが。ただその「これが日本人だよな」というのと「一般的日本人とは違う日本人像を多数の日本人が殺すとか迫害してもOK」みたいな価値観が拡大しているのは見苦しいよな・・・ってのは、ずっとこの作品のブームを見ながら感じている。

 基本的にはこの兄妹の物語は好きなので、それはまぁフィクションとして、それこそ認めうる所だけ見ればいいか、って感じなんだが。

 

 で、それは今週のNHK連続テレビ小説の「エール」でも同様に感じて、なんというか、第二次世界大戦だの太平洋戦争だのに、画家や音楽家が国の庇護の下、戦争画や軍歌や戦争歌謡を作るよう要求され大金をもらう、というような事はあったわけで(自分も戦前の画集を持ってるが藤田嗣治氏なんかも戦争画を描いていた)、でもそういう危険性についてはずっと昔からあるわけで、何を今更だし、今回の戦争についての1週間だって、ずっと通しであからさまに「正しかった」のはいがぐり頭の吾郎だけだよな、と思っている。

 吾郎はキリスト教系の集会に出かけていた所を官憲に摘発されて、激しい拷問を受けながらも「私の身体の自由は奪えても心の自由までは奪えない」といい続けるのだが。正直この1週間で明確に正しい生き方をしていたのは自分は吾郎だけだと思う。

 ところがその流れの中で終戦後、主人公小山田の妻の妹が空襲で重症を負い入院していた所に戻ってきた吾郎が「自分だけの事を考えて申し訳ありませんでした」というセリフがあったんだよね。それを見ていて自分は本当に「エール」の脚本家に腹が立った。すさまじく怒りを感じていて、実はいまだにおさまらない。

 今、日本のキリスト教信者がどれくらいいるかというと、例えばクリスマスなどをみんなで形だけ祝っているかのように見えても、実際には全日本人人口の中でキリスト教徒というのはたった1%に過ぎないわけなんだよ。で、この国では実は今でも極めてきついキリスト教徒差別が続いている。現実的にそれを擁護しているようなのがテレビの時代劇(主に江戸時代の)だったりするんだが。正直言って、日本人がキリスト教徒に江戸時代中加えた弾圧や迫害虐殺を考えれば、第二次大戦での空襲の原爆投下も仕方がない事としか言いようが無いわけで。それに気付いていない愚かな日本人があまりにも多い。

 

 で、こういうNHKのようなドラマは不用意に現在の国内「キリスト教徒」への迫害につながるようなセリフを無理やり作ったキャラクターに言わせたりもするわけなんだが・・・例えばこの終戦と同時に日本の軍部や警察は、全国の軍需工場などの勤労動員婦女子(いわゆる挺身隊)や日本全国のキリスト教信者女性らに、進駐軍用の慰安婦になるように命令を出して「RAA」という進駐軍向け慰安所を作っている(wiki参照。日本国内で7万5千人の日本人慰安婦が働いた(最初のRAAは東京都大田区の大森海岸にあったが、実はあの辺はその前は米国軍人捕虜などの強制収容施設の中枢で、日本国内でもかなりの外人捕虜が強制労働でなくなっているのだそうだ)。しかし南方で性病感染した米軍兵などによる性病などが彼女らに広がったり。それをいたんだ故ルーズヴェルト大統領夫人によって昭和21年春にRAAは閉鎖され、しかしその結果貞操を失った女性や少女たちがパンパンと呼ばれる街頭売春婦になった)。目的は米軍オランダ軍の兵士たちによる国内女性への性的暴行を減らすためだったのだが。

 そもそもそういう軍部や警察によってほぼ無理やり売春婦にされたキリスト教女性や勤労動員女性たちが戦後にいたからこそ、日本人の女性たちをかなりマシな状況にできたわけで(それでも酷いが)・・・それをパンパンとよってさげすんできた事自体が、言ってみれば当時の日本人のキリスト教信者女性たちへの大罪そのものなのだと思う。

 ・・・つまり、そういう軍人や警察によるキリスト教女性たちへの差別は戦後にすらあった。結局は彼女らに国が救われたにも関わらず。(そもそも最初は日本のRAA慰安所に動因された元軍需工場からの挺身隊婦女子の方々を、日本の一般の社会の国民は当時は当然知っていた(※ http://www.green.dti.ne.jp/seiun-dousoukai2/panpan-monogatari.html のようなケース)。そういう風に挺身隊が進駐軍向け慰安婦にされた現実があったから、朝鮮などにもそういう「挺身隊」がいたって事で、80年代以降の朝鮮人慰安婦知識が一般に納得された。ただし、RAA慰安婦についてはウチの近隣に住んでた元Y売新聞の社員の方によると、各マスコミ間の報道自粛協定みたいなものがあって、長期間、報道しない取り決めになっていた。理由は傷つく人が多いって理由で、その点で報道のアンバランスが生まれてしまったのだそうだ。で、その社員の人によると「朝日新聞の慰安婦報道は、あれはその取り決めに対する「ルール違反」だった」との事だった。)

 だから、自分は「エール」で吾郎くんに「自分だけの事を考えて申し訳ありませんでした」などと言わせたドラマスタッフたちの見識のあまりの低さが許せない。

 

 いずれにしても、基本的に僕は、軍人家系や武家家系仏教社会に媚びるかのような「キリスト教そのものに入信する事がまるで裏切りであるかのようなドラマ描写」については一切容認する気がないし、今回の「エール」の吾郎くんのお見舞い時のセリフ描写も、駄目なものは駄目だと断言します。

 ただ、なんていうか薬師丸ひろ子さんが演じるヒロインの母親が「百合の花」の歌を歌っていたけれど、百合の花というのは「聖母マリアの象徴」でもあるわけで(※ バラだとキリストの象徴花)、そういう意味でまぁ色々と思う所もあるけれど、でも、今のテレビで語れない所とか語られない所とかは色々あるし、あるだけに、「これじゃ駄目だよな」って思う所も山程あるわけなんだよね。ドラマにしてもアニメにしても。

 

 今後もかなり長い間このどうしようも無い感情ってのは続くと思う。

 そりゃドラマにしてもアニメ漫画ゲームにしても人間が作っているわけだから、完全ってわけにはいかない。自分だって器は人の肉体なので、完全には自分の作品を作れないわけだから。

 

 でも、駄目なものを容認しても仕方が無い。